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京都地方裁判所 平成4年(ヨ)817号 決定

債権者

園田裕子

債権者

高堂裕宣

債権者

吉田こと園田伸二

右三名訴訟代理人弁護士

三野岳彦

三浦正毅

崎間昌一郎

海藤壽夫

債務者

京都コンピュータ学院洛北校こと 長谷川亘

右訴訟代理人弁護士

猪野愈

主文

債権者らの申立てをいずれも却下する。

申立費用は債権者らの負担とする。

理由

第一当事者の求めた裁判

一  申立ての趣旨

1  債権者らが債務者に対して雇用契約上の権利を有する地位にあることを仮に定める。

2  債務者は、債権者園田裕子に対し、平成四年七月一六日以降本案判決確定に至るまで、毎月二五日限り金一九万四七〇〇円の割合による金員を仮に支払え。

3  債務者は、債権者高堂裕宣に対し、平成四年七月一六日以降本案判決確定に至るまで、毎月二五日限り金一八万九一〇〇円の割合による金員を仮に支払え。

4  債務者は、債権者吉田こと園田伸二に対し、平成四年七月一六日以降本案判決確定に至るまで、毎月二五日限り金二一万一八〇〇円の割合による金員を仮に支払え。

二  申立ての趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  申立ての理由

1  債務者

債務者は、情報処理技術の専門教育を行うことを目的として設置された専修学校京都コンピュータ学院洛北校(以下「洛北校」という。)の設置者である。

現在、洛北校の関連校として、債務者の母親長谷川靖子が設置者である京都コンピュータ学院白河校、同女が代表者を務める学校法人京都コンピュータ学園が設置者である京都コンピュータ学院京都駅前校及び同鴨川校がある(以下、これらを総称して「京都コンピュータ学院」あるいは「学院」という。)。

2  被保全権利

(一) 債権者園田裕子(以下「債権者園田」という。)は昭和五七年四月に、債権者高堂裕宣(以下「債権者高堂」という。)は同五八年四月に、債権者吉田こと園田伸二(以下「債権者吉田」という。)は同五五年三月に、当時京都コンピュータ学院学院長であった長谷川繁雄に、それぞれ学院職員として雇用された。

その後、債権者らは、洛北校に勤務した後、債権者高堂は昭和六三年四月から、同園田及び同吉田は平成二年五月から、いずれも京都コンピュータ学院関田町印刷局(以下「関田町印刷局」あるいは「印刷局」という。)に勤務していた。

なお、昭和六〇年三月に京都コンピュータ学院で働く職員らによって電気通信情報産業労働組合連合京都コンピュータ学院労働組合(以下「学院労働組合」あるいは「組合」という。)が結成されたが、平成四年四月現在、組合員は債権者らを含む四名のみである。

(二) 債務者は、長谷川繁雄の死亡(昭和六一年七月二日)により、右各雇用契約上の地位を承継した。

(三) 債務者は、債権者らを懲戒解雇したと称し、本件雇用契約の存在を争っている。

しかしながら、債権者らに懲戒解雇されるべき理由は存せず、右懲戒解雇は無効である。

3  保全の必要性

(一) 債権者らは、債務者から、手当を含め毎月二五日に左記金額の各賃金の支払いをそれぞれ受けていた。

債権者園田 一か月金一九万四七〇〇円

債権者高堂 一か月金一八万九一〇〇円

債権者吉田 一か月金二一万一八〇〇円

(二) 債権者園田と同吉田は、共に三三歳で夫婦であり、共働きをして生活を営んでおり、また債権者高堂は、三三歳の独身であり、家族と別居して生計を営み、その衣食住は全て右賃金によって賄っているところ、債権者らの収入は現在全く途絶えているうえ、蓄えもないため、債権者らの生活は困窮している。

よって債権者らは、債務者に対し、申立ての趣旨内容の仮処分命令を求める。

二  申立ての理由に対する認否

1  申立ての理由1、同2(一)及び(二)の各事実は認める。

2  同2(三)の事実のうち、債務者が債権者らを懲戒解雇したこと及び本件雇用契約の存在を争っていることは認め、懲戒解雇が無効であることは争う。

4  同3(一)の事実は認める。

5  同3(二)の事実は争う。

なお仮払いを命ずべき金額は、債権者らが従来支給を受けていた賃金額を上限とし、債権者らが人並みの生計を維持していくのに必要な金額とすべきである。

三  抗弁

1  債務者は、平成四年七月一五日、債権者らに対し、懲戒解雇する旨の意思表示をした(以下「本件懲戒解雇」という。)。

2  本件懲戒解雇は、債権者らが後記(一)ないし(五)記載の債務者就業規則(以下「就業規則」という。)所定の懲戒事由に該当する行為を繰り返したため、後記(六)記載の債権者らの勤務成績不良をも付加考慮してされた正当なものである。

(一) 忠実義務、名誉・信用の保持義務違反

債権者らは、洛北校の学生数が減少し、関連校においても休校状態にしている校舎のあることを熟知しながら、谷口永里子(以下「谷口」という。)と共謀の上、平成四年七月一三日、谷口ほか数名の者に、債務者の監督官庁である京都府総務部文教課の道家課長補佐(私学係長)に対し、「京都コンピュータ学院は狭い教室に学生をギュウギュウ詰めにして授業を行っているし、担任(クラス担任)も年度途中でよく代るし、先生も途中で辞める者もあり、十分な教育をしていない。」旨の全くの虚偽の申告をして、債務者の名誉・信用を毀損する行為に及んだ。

右行為は、就業規則六九条八号、一二号、一三号に該当するものであり、これのみをもってしても十分懲戒解雇に値するものである。

(二) 業務妨害行為

債権者らは、谷口と共謀の上、平成四年七月一三日午後四時ころ、国鉄労働組合京滋地区本部執行副委員長野坂昭生、同書記長牛谷信雄及び谷口ら八名をして京都コンピュータ学院百万遍校(以下「百万遍校」という。)に押掛けさせ、団体交渉と称し、洛北校参与植原啓之(以下「植原参与」という。)との面談を強要し、応対にあたった百万遍校職員が退去を求めると、かえって右職員を罵倒・脅迫するなどして百万遍校の業務を妨害した。

右行為は、就業規則六九条一号(同六八条二号)、同六九条八号、一九号(同条一一号、一五号)に該当するものである。

(三) 職務放棄

債権者らは、平成四年四月一日以降の職務について、〈1〉印刷局の管理者であった前田勉課長(以下「前田課長」という。)から、同年三月一六日、同月三一日の二回にわたり、引き続き印刷局勤務である旨指示され、〈2〉同月三一日、岸本係長から、印刷局勤務という植原参与の指示を伝達され、〈3〉更に同日、組合宛文書により勤務場所の変更がない(ただし同年四月一日から名称を関田教育印刷所(以下「印刷所」という。)に変更する。)ことを伝達されているにもかかわらず、同年三月三一日までに辞令が交付されなかったことを奇貨として、職務を放棄した。

すなわち、同年四月一日、債権者らは、印刷所で勤務することなく(以下「職務放棄」という。)洛北校に現れ、植原参与が指示するまで退去せず、同月二日、債権者園田及び同高堂が、職務放棄して洛北校に現れ、終日不退去の状態を続け、また債権者吉田も、職務放棄したうえ、各専労協(各種学校専修学校関係労働組合連絡協議会)議長・浅野美恵子名義の文書を持参して百万遍校に現れ、同月三日、債権者園田及び同高堂は印刷所に出勤したものの無断で早退し、一方債権者吉田は洛北校に現れ、植原参与が辞令について説明し、印刷所の勤務につくよう命じるまで不退去の状態を続けるなどして洛北校の業務妨害を行うとともに、印刷業務を大幅に滞らせた。

右行為は、就業規則六九条四ないし六号に該当するものである。

(四) 始末書未提出

債務者は、平成四年四月四日付けで、債権者らに対し、同月三日の職務放棄について厳重警告し、始末書の提出を求めたが、債権者らは提出しなかった。

右行為は、就業規則六九条一号(同六八条一号、同六七条一号、九号)に該当するものである。

(五) 業務命令違背

債務者は、債権者らに社会常識を身に付けさせ、平成四年四月一日以降、顕著になった反抗的姿勢を改めさせるため、社外研修を受けさせることとし、同年七月一〇日、植原参与が右研修実施の内示(趣旨説明)をし、同月一三日、債権者らに対し、右研修の業務命令を発したが、債権者らはこれを拒否した。

右行為は、就業規則六九条四号、六号、九号に該当するものである。

(六) 勤務成績不良

(1) 債権者園田について

債権者園田は、仕事を選り好みし、上司、同僚・後輩との対人関係も悪かったうえ、学生・父兄からの苦情も多々あり、学生指導の現場に置くことができなくなり、平成二年五月九日から、印刷局勤務となったが、右勤務態度を改めることはなかった。債権者園田は、同三年一月一七日、過失により前田課長がワープロに入力済みのデータを消滅させ、更に同年四月二日、広報課の榎本課長の指示を歪曲して前田課長に伝達し、同課長に残業させたりしたが、反省せず、その後の勤務態度も改めなかった。

(2) 債権者高堂について

債権者高堂は、業務遂行能力が低く、快活さにも欠け、学生指導業務に不適格であった。昭和六三年四月以降、印刷局に配置され、積極的な勤務態度は見られなかったものの、注意されれば右態度を改めようとしていたが、債権者園田が印刷局に配属されたころから、ミスが目立つようになった。債権者高堂は、平成三年一月二九日、昼休みに外出する際、印刷局の施錠を失念したが、反省せず、その後も他の債権者らと結託し、不誠実な勤務態度を続けた。

(3) 債権者吉田について

債権者吉田は、採用当初、勤労意欲・勤務態度ともに良好であったが、自信のなさが目立ち、雰囲気に感化されやすい性格的な弱さが業務遂行上マイナスに働くことが多かった。平成二年五月以降、印刷局に配置されたところ、疲労した様子で勤務することが多く、勤務意欲は漸次低下し、ミスが多くなった。債権者吉田は、同年三月三〇日、卒業文集を印刷するに際し、誤って一部を欠落させたまま印刷したが、自己の非を認めず、また他の債権者らが注意を受けていると、組合執行委員長だからと持場を離れ、上司を批判するといった、勤務時間中の組合活動に類する言動がしばしば見られるようになった。

3  整理解雇

債務者は、債権者らを平成五年三月二五日付けで予備的に人員削減の必要性から整理解雇した。

洛北校は、昭和五八年時点ではその生徒数一七四七名を数えたが、平成五年度の入学者は四六名であって、在校生は前年度三四三名から二〇〇名に激減した。関連校も昭和六〇年度は六校を数えたが、白河校は休校中、百万遍校は平成四年三月三一日廃止認可となり、鴨川校と京都駅前校の二校を残すのみである。そして、鴨川校の平成五年度の学生数は三三六名、京都駅前校のそれは一一五二名で、学院最盛期の四九六一名からすると三分の一の現状である。

学校法人京都コンピュータ学院は毎年赤字の累積であり、債務者の個人所得も平成四年度でわずか年間五〇万円程度でしかない。このまま整理解雇をなさないでいると、労務倒産となること必定であり、四名を整理解雇することを余儀なくされるに至った。

そこで、債務者雇用の過剰な事務職員のうち、過去に懲戒を受け、勤労意欲を欠き、出向にも応じないのみならず、業務命令としての研修にも条件を付けて拒否し、同僚との融和を欠き、学風尊重の意志もみられない債権者らを含む四名が、他の事務職員と比較して整理の基準に該当するをもって解雇の対象となったものである。

四  抗弁に対する認否及び主張

1  抗弁1の事実は認める。

2  抗弁2(一)の事実のうち、谷口らが主張の日に道家課長補佐と面談したことは認め、その余は否認する。

債権者らは、当日印刷局で勤務しており、谷口らの行動に参加していない。債権者らが確認したところによれば、右行動は不当解雇撤回を闘う京都コンピュータ学院労働組合を支援する会(以下「支援する会」という。)が行ったものであり、谷口に対する京都府地方労働委員会の救済命令を学院が早期に実現するように申入れたものである。

3  同2(二)の事実のうち、谷口らが百万遍校において、面談の申入れをしたことは認め、その余は否認する。

債権者らは、当日印刷所の業務に従事していたものであり、谷口らの行動に参加していない。債権者らが確認したところによれば、支援する会は平成四年七月五日付けで同月一三日の面談の申入れをしたほか電話でも確認をしていたということであり、突然押掛けたということはない。

また右来訪自体、平穏な態様で行われたものであり、その際、支援する会の谷内口、野坂が、応対に出た学院の岸本に対し、谷口の解雇問題について地労委命令に従い早期解決するよう申入れたものである。その後湯下が、事を荒立てようとして「警察を呼ぶぞ。」などと言い、女子事務員に警察に通報させたが、駆付けた警察官において、特に問題とされることはなかった。

なお当日、現場には出入りの業者一名がいたのみで、学生や就職先企業の人などはいなかった。

4  同2(三)の事実のうち、債権者らに組合宛ての文書が交付されたこと、平成四年四月一日に債権者らが洛北校へ、同月二日に債権者園田及び同高堂が同校へ、同吉田が百万遍校へ、同月三日に債権者吉田が洛北校へ行ったこと並びに同日債権者園田及び同高堂が早退したことは認め、その余は否認する。

前田課長の平成四年三月一五日の指示は、自身の欠勤中の勤務に関する指示であり、次年度の話は出ておらず、また同月三一日、債権者園田が同課長に翌日以降の勤務場所について尋ねた際も、同課長は不確かな回答しかしていない。岸本係長の話も植原参与の話を伝聞として伝えたものにすぎず、到底指示とはいえないものである。

また同日債権者らに交付された債務者作成の組合宛ての文書には従前どおり印刷所勤務である旨の記載があったが、債権者らは、平成四年二月に債務者から退職勧奨、整理解雇の申入れを受けたりしていたため、右文書に種々疑義を感じざるを得ず、組合を通じ、翌日以降洛北校に出勤する旨書面で申入れたうえで、同校で植原参与の連絡を待っていたのであり、やむを得ない行動というべきである。また債権者吉田は、同年四月二日、有給休暇を取っていた。

5  同2(五)の事実のうち、植原参与が平成四年七月一〇日に研修実施の内示をし、同月一三日に研修の業務命令書を交付したことは認め、業務命令を拒否したことは否認する。

債権者らは、内示に対し、不当配転を是正し校舎勤務に戻すよう求めたにすぎず、また業務命令に対し、研修に関する諸問題が解決できれば応じる旨の回答をしており、業務命令違反という事実は存しない。

6  同2(六)の各事実は争う。

債務者が成績不良として主張する点は、事実に反するか趣旨がねじ曲げられているものが大半であり、仮に一部事実のものが含まれているとしても、懲戒解雇理由とはなり得ないものである。

7  債務者は、労働組合を嫌悪し、組合員であり組合役員でもある債権者らを不当に不利益に取り扱って正当な理由なく解雇したものであるから、本件懲戒解雇は無効である。

第三当裁判所の判断

一  債務者が洛北校の設置者であり、債権者らは債務者に雇用されていたが平成四年七月一五日に懲戒解雇されたことについては当事者間に争いがない。

二  そこで債務者が主張する懲戒解雇事由について検討するに、右当事者間に争いのない事実に疎明資料及び審尋の全趣旨を総合すると、本件懲戒解雇がされるに至った経緯について、以下の各事実が認められる。

1  京都コンピュータ学院は、情報処理技術の専門教育を行うことを目的として、昭和五一年に長谷川繁雄によって設立されたもの(後の洛北校)であるが、その後コンピュータ技術者の需要の高まりに応じて、昭和六〇年までの間に白河校、百万遍校、京都駅前校が、またその間に学校法人京都コンピュータ学園が設立されて鴨川校、高野校が設立され、昭和五九年には全校で四九六一名の学生を擁する規模となった。

2  債権者園田は、昭和五六年三月仏教大学を卒業し同五七年四月に、債権者高堂は、同五六年三月竜谷大学を卒業し同五八年四月に、債権者吉田は、同五五年三月京都コンピュータ学院鴨川校を卒業し同年四月に、それぞれ当時京都コンピュータ学院学院長であった長谷川繁雄に同学院職員として雇用された。

3  昭和六〇年三月二六日、京都コンピュータ学院で働く職員らによって学院労働組合が結成された。債権者園田は組合結成当初から書記次長、平成元年九月からは副執行委員長を、債権者高堂は同月から執行委員、平成二年四月からは書記長代行を、債権者吉田は組合結成当初から会計監査、昭和六一年九月からは執行委員、同六二年五月からは執行委員長を務めている。なお、平成四年四月現在、組合員は債権者らを含む四名のみである。

学院労働組合は、結成後直ちに当時の学院長であった長谷川繁雄に対し組合結成を通知するとともに、組合の要求書を交付して団体交渉を求めた。その後、組合は、長谷川繁雄が組合を嫌悪し、組合を切り崩す不当労働行為を行っているとして、数回にわたり当庁及び地方労働委員会へ救済の申立を行った。

4  昭和六一年七月、長谷川繁雄の死亡に伴い、洛北校は債務者が、白河校、百万遍校、京都駅前校は長谷川靖子がそれぞれ設置者となり、一方長谷川繁雄の雇用にかかる教職員は一旦債務者が雇用主の地位を引き継いだが、翌年三月その一部が同人らの同意のもとに長谷川靖子の雇用に変更された。債権者らは、いずれも昭和六一年から債務者に雇用されることとなった。

5  コンピュータ技術者の需要は年毎に高まり、その養成は社会的急務となって、各地にコンピュータ系の学校学部が設置されたため、昭和五九年に約五〇〇〇名を擁した京都コンピュータ学院の学生数も漸減し、平成元年ころからは約一八〇〇名前後で推移するようになった。

債務者の設置する洛北校においては、学生数に比して事務系の職員が過多であるため、昭和六三年四月から平成二年一〇月まで四度にわたり希望退職を募ったがその結果は思わしくなかった。

昭和六三年度の洛北校の学生数が前年の約半数の四七四名、平成元年は三四二名となったため、債務者は、過剰人員約二〇名を、関連校や共同事業センターへ出向させるなどしたが、なお余剰人員を抱えていたため、ソフト関連事業を営む独立採算制のPCセンターを設立するなどして吸収した。

6  関田町印刷局は、長谷川繁雄が京都コンピュータ学院及び関連校の教材、試験問題、学生募集要項等すべての印刷を担当する目的で昭和五五年に発足させたものであるが、同人の死亡に伴い債務者が相続によりその経営に当たることとなった。平成二年当時には、同所に設置されている印刷機械等は耐用年数一〇年を越え、他の印刷業界における機器と比べて効率は低いものであった。

債権者高堂は昭和六三年四月から、同吉田は平成二年四月から、同園田は同年五月から、いずれも印刷局に勤務しており、いずれも平成四年三月三一日までの間、同所に出向を命じられていた。

債権者吉田及び同園田は、印刷局の管理者になるよう打診されたがいずれもこれを拒否したため、印刷局は広報課の前田課長が管理者として出向勤務することになり、同課長の元で債権者らは勤務していた。

7  債務者は、平成二年一二月二八日、谷口を懲戒解雇した(以下「谷口解雇問題」という。)が、谷口は、債権者らとともに、上部団体である情報産業労働組合連合会近畿地方協議会(以下「近畿地協」という。)、情報産業労働組合連合会京都地区協議会(以下「京都地協」という。)の協力・支援を得ながら解雇撤回闘争を行い、京都地方労働委員会に対し、不当労働行為救済申立てをし、また京都地方裁判所に地位保全仮処分の申立てをした(地位保全仮処分申立てについては同三年四月二三日に、不当労働行為救済申立てについては同年一二月一〇日に、いずれも谷口の主張が認容された。)。

8  近畿地協は、谷口解雇問題を支援していたものの、谷口解雇問題について展望が見出せなかったことから何度か債権者ら及び谷口に対し、右争訟の不毛性を示唆し、谷口の円満退職(解雇の撤回、合意解除)、再就職の斡旋などを勧告していたが、債権者らは谷口の職場復帰を主張して譲らなかった。このため平成四年二月四日、近畿地協及び京都地協と債権者ら及び谷口との間において、組織的支援は地労委及び地裁仮処分の各段階までとする旨の確認がなされた。

9  平成三年度の洛北校の学生数は三五〇名でしかなく、学校経営は逼迫し、債務者は、不動産の売却により赤字の補填を考えていたところ、平成三年末に至って関田町印刷局の不動産を買い取りたい旨の話が出てきたことから、印刷局を閉鎖することが検討された。

債権者らは、平成四年二月二一日、印刷局を訪れた植原参与から、同年三月末で印刷局を閉鎖することを告げられ、自主的に退職する意思の有無を尋ねられたが、退職する意思がないことを明言し、同年二月二二日、右発言内容を撤回すること、団体交渉を開催することなどを要求した。同月二五日、学院労働組合と債務者との団体交渉が行われ、債務者が印刷局の閉鎖及び退職勧奨の撤回を検討することとなった。

しかし、同月二九日、債務者からは、債務者が整理解雇の必要に迫られており、同年三月一五日にその対象者を発表する旨の申入れがなされた。債権者らは、同月二日、整理解雇撤回のを申入れをするとともに、緊急に団体交渉をすることを要求し、同月六日、学院労働組合と債務者との団体交渉が行われたが、整理解雇の必要性を説く植原参与と債権者らの交渉は平行線を辿り何ら結論が出ずに終結した。

その後、関田町印刷局の不動産の売却の話が進展しなくなったため、債務者は次年度も印刷局を存続する方向で検討し、債権者らの雇用を継続することとしたが、債権者らは、同月一五日を経過しても整理解雇の対象者が発表されなかったため、同月一八日、現状の説明を求める申入れをした。

10  債権者らは、平成四年四月一日以降の勤務場所について辞令が交付されていないことにこだわり、同年三月一六日前田課長から、更に同月三一日には前田課長や岸本詳司に従前どおり印刷局に勤務すればよい旨指示されても納得しなかった。

また、債務者は、同日、学院労働組合に対する申入書を債権者らに交付したが、右申入書には〈1〉整理解雇は当面回避できる見込みであること、〈2〉債権者らは従前どおり印刷局(ただし名称を「関田教育印刷所」に変更し、外注業務も受注し、将来的には法人化を考慮する。)で勤務してもらうことなどが記載されていた。

11  植原参与は、平成四年四月一日午前九時ころ、債権者らに辞令を手渡すべく印刷所を訪れたが、債権者らが不在であったので、やむなく三名の辞令を同所に置いて百万遍校に戻った。

一方債権者らは、平成四年四月一日からの勤務場所について指示がないから元の勤務場所に来るしかないと称し、印刷所で勤務することなく同日午前八時二〇分ころ洛北校に現れ、同校の藤井次長に印刷所で勤務するように厳重に注意されても従おうとせず、年度初めで業務が忙しいことは熟知しながら同校の一階事務室や二階に上がり込み、同校職員らの退室の求めにも応ぜず、職員らの行動を監視するような行動をとり、午後三時半ころ植原参与が印刷所に辞令を置いてある旨電話で告知するまで退去しなかった。債務者は、債権者らの職務放棄に対し、厳重警告書を発した。

その後債権者らは、印刷所に辞令を取りに行ったが、右辞令には関田教育印刷所所長長谷川亘と記載されており、学院と印刷所の関係が不明確であること、勤務条件、勤務形態及び勤務期間が不明であること、押捺されている印鑑等について疑義を呈し、このままでは印刷所で勤務することができない旨電話で岸本係長に申し入れた。

これに対し、岸本係長は、印刷所に出していた印刷業務が滞ることを恐れ、直ちに印刷業務をするように注意したが、債権者らが職務を放棄したため印刷業務は大幅に滞った。

さらに、債権者吉田及び同園田は、百万遍校の前でタクシーを待っていた植原参与に対し、自動車の中から、債権者園田及び同高堂は明日も洛北校に行くこと、同吉田は有給休暇をとることを一方的に述べ、辞令を突き返して走り去った。

12  債権者園田及び同高堂は、翌二日、前日の辞令には前記11記載のとおりの疑義があるなどと主張し、前日同様、印刷所で勤務することなく洛北校に現れ、同校の職員から再三の注意にもかかわらず窓口付近において終日不退去の状態を続けた。債務者は、右債権者らの職務放棄に対し、前日同様の厳重警告書を発した。

また債権者吉田は、同日、各専労協の伊藤繁樹、全労協の山原克二、全国一般労働組合の西村文雄とともに、百万遍校に各専労協議長・浅野美恵子名義の文書を持参したり、数名の者らとともに京都府総務部文教課を訪れ、監督官庁として谷口解雇問題について早期解決するよう指導するよう申し入れたりしていた。

13  翌三日、債権者園田及び同高堂は印刷所での勤務についたが、債権者吉田は、四月一日同様洛北校に現れ、窓口付近において立ったり座ったりを繰り返し、事態収拾のため駆けつけた植原参与が辞令の趣旨を説明し、印刷所の勤務につくよう命じるまで、再三注意されていたにもかかわらず退去しなかった。同吉田は午後三時二〇分ころ洛北校を離れ印刷所に向かった。

また植原参与は、債権者吉田に説明する前に、辞令を返却している同園田及び同高堂に対し洛北校に来るように電話で命じたが、右債権者らは急に激しい腹痛に見舞われた旨洛北校に連絡したのみで、植原参与の了解も取らずに早退した。

債務者は、債権者吉田の職務放棄並びに同園田及び同高堂の無断早退に対し、厳重警告書を発した。

14  植原参与は、同月一一日、債権者らに辞令を交付するため印刷所を訪れ、債権者高堂及び同園田に対し、同月三日の早退の理由について問いただしたが、右債権者らは合理的な説明をせず、辞令を素直に受け取ろうとはしなかった。

15  平成四年四月二三日、債務者側から植原参与、湯下秀樹ら、近畿地協から島事務局長ら、学院労働組合から債権者吉田が出席して、団体交渉が行われた。右団体交渉において、植原参与は、谷口解雇問題に対する地労委、京都地裁の判断は不当であり、かつ中労委、大阪高等裁判所で係争中であり、その結果が出るまでは交渉の余地がないこと、債権者らの雇用に努力しているものの学院の経営が苦しいことなどを説明した。

団体交渉終了後、植原参与と島事務局長とが会談したところ、島事務局長は、債権者らが上部団体の指示に従わない行動をしているようであり、将来支援を打ち切る可能性があることを示唆した。

16  債権者らは、元京都総評事務局長の谷内口浩二らに対し、谷口解雇問題などの支援活動を依頼していたところ、平成四年六月一九日、谷内口が呼掛人となって不当解雇撤回を闘う京都コンピュータ学院労働組合を支援する会(支援する会)の結成総会が開催され、支援する会の代表に谷内口が、副代表に浅野美恵子他三名が、事務局長に久野晶二が、事務局次長に債権者園田が、それぞれ就任した。

翌二〇日、支援する会の野坂らが学院鴨川校の岸本詳司と面談し、その際、谷口解雇問題に関し、中労委に対する再審査の申立て及び大阪高等裁判所に対する控訴を取下げること、債権者らの不当配置を改めることなどを記載した債務者宛ての谷内口、浅野及び債権者吉田名義の申入書が交付された。

支援する会は、同年七月六日、学院労働組合の上部団体ではないにもかかわらず、同月一三日午後四時に百万遍校舎において、谷口解雇問題、労使関係の正常化などに関し団体交渉することを団体交渉申入書と題する文書で申し入れた。右文書を受け取った植原参与は、上部団体である近畿地協の島事務局長に連絡を取り、右申入れに対する対処方法を相談したが、支援する会が組合の上部団体ではなく団体交渉権を有しないことから、結局相手にせず黙殺することにした。

17  平成四年七月一〇日、植原参与が債権者らに対し、印刷業務について社外研修を受けることを打診したところ、債権者らは、右研修に難色を示し、校舎勤務に戻すことを求めた。

同月一三日、植原参与が業務命令として右研修を受けることを命じたところ、当初債権者らは労働組合員全員を外部に放り出すことは不当である旨述べて右命令を拒否したが、植原参与の説得に対し、一応命令書を預かる旨述べてこれを受け取ったので、植原参与は同月一五日までに返事をするよう指示した。

18  一方谷口及び支援する会の者らは、同月一三日、京都府総務部文教課を訪問し、応対に当たった同課課長補佐道家俊之らに対し、谷口解雇問題について早期解決するように指導することを要請するとともに、学院の授業内容について、「京都コンピュータ学院は狭い教室に学生をギュウギュウ詰めにして授業を行っているし、担任も年度途中でよく代る。先生も途中で辞める者もあり、十分な教育をしていない。」旨話し、「認可した後の指導はどのようになっているのか。」、「府として学校の許認可届出についての処理だけでなく、もしそのような事実があるとするならば、もう一歩突っ込んで対処して欲しい。」などと申し入れた。

道家課長補佐は、同日夕刻、たまたま文教課を訪れた植原参与に対し、谷口らが来訪したことを告げるとともに、同人らが話したことが真実であれば監督官庁として放置できないとして、その真偽を問い質したため、植原参与は、支援する会の者らが話したことが虚偽であることを述べるとともに、学園の実状について説明した。

19  また同日、谷内口、国鉄労働組合京滋地区本部執行副委員長野坂昭生、同書記長牛谷信雄ら支援する会の者七名並びに谷口が、学院百万遍校に赴いた。応対にあたった湯下が支援する会の者らに来訪の用件を尋ね、名刺の交付を求めたのに対し、野坂らは、来訪の目的を告げることもなく植原参与と面会させるように求めたうえ、逆に湯下に対し、「世の中の常識」と称して名刺を要求し、湯下がやむなく名刺を交付すると、名刺交換をしたのだから部屋に通すように要求し、湯下が退去を求めても聞き入れず、こもごも罵詈雑言を浴びせ掛けた。更に野坂らは、湯下が当惑して警察を呼ぶと言ったことに対し、「あー呼べ。」、「呼んでみい。はよ呼ばんかい。」などと挑発し、また湯下の手が野坂の肩に当たったことに対し、野坂が「何を触ってんだ。あたたたたって行って病院行ったらどうするの。」、「病院駆け込んだらどうするの。」などと威嚇した。

当時百万遍校には出入りの業者も来ており、二階には学生もいたため、困惑した同校職員が警察に連絡した。その後駆けつけた岸本に対し、野坂が前記16の団体交渉申入書と題する文書を示したりしていたが、連絡を受けて駆けつけた警察官が到着するや、右文書中の「団体交渉」という記載が誤りであったと釈明するとともに、湯下が一人で騒ぎ立てていたかのように取り繕って引き上げた。

20  翌一四日、植原参与、湯下、岸本らが、印刷所に行き、債権者吉田らに対し、前日訪れた野坂ら支援する会が交付した団体交渉申入書のコピーを示しながら、支援する会との関係の有無について語気荒く問い質した。債権者吉田は、当初「自分達には関係ない。何かあるのであれば支援する会に言えばよい。」などと答えていたが、最終的に支援する会との関係、前日支援する会の者らが百万遍校に行くことを知っていたことなどを自認した。

21  債務者は、平成四年七月一五日、債権者らに対し、債務者就業規則六九条一号、三ないし六号、八号、一二号、一三号、一九号を適用して本件懲戒解雇をした。

以上の各事実が一応認められ、右認定に反する(証拠略)の記載部分は採用できない。

三  次に、債務者が解雇事由とした債権者らの勤務成績等について検討するに、疎明資料及び審尋の全趣旨を総合すると、以下の各事実が認められる。

1  債権者園田について

債権者園田は、上司に対しては常に反抗的な態度を示し、仕事を選り好みして自分に嫌なことは他人に押し付けたりするため、同僚・後輩との対人関係も悪く、その言動から学生・父兄からの苦情も多々あり、学生指導の現場には不適格であった。同人の人事考課は意欲・態度、能力欄とも極めて低く、総合所見も右と同様の評価がされているほか、同僚も同様の評価をしていることが伺われる。そのため、PCセンターや出向研修を経た後、平成二年五月九日から、印刷局勤務となったが、右勤務態度を改めることはなく、また同園田は管理職ではないのに同吉田及び同高堂に対し命令することが多かった。

同園田は、同三年一月一七日、過失により前田課長がワープロに入力済みのデータを消滅させ、さらに同年四月二日、広報課の榎本課長の指示を歪曲して前田課長に伝達して終業時刻とともに帰宅し、本来自己がすべきことを同課長に残業させてやらせたりし、それぞれについて警告書が発せられたが、反省せず、その後の勤務態度も改めなかった。

2  債権者高堂について

債権者高堂は、業務遂行能力が低く、快活さにも欠け、学生指導業務に不適格であった。昭和六三年四月以降、印刷局に配置され、積極的な勤務態度は見られなかったものの、注意されれば右態度を改めようとしていたが、債権者園田が印刷局に配属されたころから、同人の言動に従うことが多くなり、ミスも目立つようになった。人事効果も極めて低い評価がされている。

同高堂は、平成三年一月二九日、昼休みに外出する際、印刷局の施錠を失念したが、反省せず、その後の勤務態度も改めなかった。

3  債権者吉田について

債権者吉田は、採用当初、勤労意欲・勤務態度ともに良好であり、他の債権者らに比して本人にやる気がありさえすれば能力を発揮できるはずであるのに、消極的で自信のなさが目立った。昭和六〇年四月に白河校(当時浄土寺校と称していた。)の学生課長を命じられたが、その任に耐えられないとして間もなく辞任を申し出たり、情報処理技術者の国家試験に合格するように指示されていたが、やる気がないなど消極的態度が目立ち、学校職員としての自覚と資質に欠けるところがある。平成二年五月以降、印刷局に配置されたところ、疲労した様子で勤務することが多く、勤務意欲は漸次低下し、ミスが多くなった。人事考課は、他の債権者らに比して多少は良いが、総合所見は極めて低い評価がされている。

同吉田は、同年三月三〇日、卒業文集を印刷するに際し、誤って一部を欠落させたまま印刷したが、自己の非を認めず、上司の命令よりも債権者園田の指示に従うことが多かった。また他の債権者らが注意を受けていると、組合執行委員長だからと持場を離れ、上司を批判するという行動がしばしば見られた。

四  以上の認定事実をもとにして債務者のした本件懲戒解雇の適否について検討する。

1  債務者は、支援する会の者らが平成四年七月一三日に京都府総務部文教課を訪れ、京都コンピュータ学院について虚偽の事実を述べ、債務者の名誉・信用を毀損し、また同日、支援する会の者らが百万遍校に押しかけ、同校職員らを罵倒・脅迫するなどしてその業務を妨害した旨主張する。

しかしながら、債権者らが支援する会の者らと行動を共にしていればともかく、債権者らは、当日印刷局で勤務していて支援する会の者らと行動を共にしていないし、たとえ債権者らが支援する会の者らが京都府及び百万遍校に赴くことを知っていたとしても、同人らに虚偽の事実を述べさせたり、業務を妨害することを指示したとも、あるいは債権者らにおいてこれを積極的に容認していたとも認められない本件においては、支援する会の者らの行動をもって債権者らの解雇事由とはなり得ないといわなければならない。

2  次に、債権者らが平成四年四月一日から三日にかけて印刷所の職務を放棄し、洛北校に現れ同校の業務を妨害し、印刷業務を滞らせた点について検討するに、前記認定のとおり、債権者らは、書面及び口頭により同月三一日までに、四月一日以降の勤務先が引き続き印刷局となることを知らされていたにもかかわらず、三月三一日までに辞令が交付されていないことにこだわり、四月一日以降殊更洛北校に現れ、同校職員から再三印刷所で勤務するように注意を受けたにもかかわらずこれを無視し、印刷業務を放置したまま同校の事務室などにほぼ終日居座り、印刷業務を大幅に停滞させるとともに、洛北校の業務をも妨害したことは就業規則六九条四号ないし六号に該当するといわなければならない。

3  債権者らは、平成四年三月三一日までに明確な指示はなく、また同年二月に退職勧奨、整理解雇の申し入れを受けたりしているため、洛北校において植原参与の連絡を待っていたのであり、やむを得ない行動であった旨主張する。

しかしながら、債権者らの四月一日以降の勤務先については、三月三一日までに明確な指示がされたにもかかわらず、債権者らがこれに納得しなかったことは前記二10認定のとおりであり、また、整理解雇についても、前記二10認定のとおり、同日債務者作成の申入書にこれが回避される見込みであることが記載されており、右文書に何ら疑義を差し挟む余地はないこと、仮に右文書に疑義があり、植原参与に説明を求めるのであれば、同人の勤務する処へ誰かが赴けばよいのであって、四月一日に三人して洛北校に赴き、年度初めの時期にほぼ終日同校の事務室等に居座る理由は何らないこと、また仮に四月一日に洛北校に赴いたことがやむを得ないと解する余地があるとしても、同日債権者らは印刷所において辞令を受け取りながら、たまたま道路上で会った植原参与にこれを突き返し、翌日以降も債権者らのうち一人ないし二人が前日同様洛北校に現れ、同校の業務を妨害するとともに、印刷業務を大幅に滞らせたことは、到底やむを得ない行動とはいえない。

また債権者らは、同吉田が四月二日には有給休暇を取っていた旨主張するが、同吉田が同日の有給休暇の申入をしたのは、前日たまたま道路上で会った植原参与に辞令を突き返すとともに、二日に有給休暇を取る旨の申入をしたものであって、到底適法な申入とはいえず、同吉田が印刷所の職務を放棄したことは明らかである。

4  債権者らが印刷所の職務を放棄したのは、それぞれが二日ないし三日であり、債権者らによる洛北校の業務妨害も三日間のみであるが、前記のとおり、洛北校はもとより京都コンピュータ学院すべての学生数も大幅に減少し、余剰人員を抱え経営的にもかなり困難を来している現状において、勤務成績も極めて悪い債権者らの雇用継続を図るために、印刷局を存続させ印刷所として発足した初日に、債権者らは三名ともに職務を放棄して印刷業務を滞らせ、しかも、四月一日は年度初めであり業務多忙であることを学校職員としては当然理解していなければならないにもかかわらず、洛北校に現れ、三日間にもわたりその業務を妨害したのであるから、債権者らの右行為は学校職員としては適格性を欠くものといわなければならず、債務者が債権者らのこれらの行為をとらえて懲戒解雇をしたことはやむを得ない措置と解するのが相当である。

5  債権者らは、債務者が労働組合を嫌悪し、組合員であり組合役員でもある債権者らを不当に不利益に取り扱って正当な理由もなく解雇したものである旨主張する。

しかしながら、本件懲戒解雇が正当なものであり、債権者らを不当に不利益に取り扱ったものでないことは、前記認定のとおりである。学院労働組合の組合員は債権者ら三名と懲戒解雇された谷口の四名のみであり、債権者らの勤務成績等は前記認定のとおりであって、学院内において債権者らを支持する者の存在が伺われない本件においては、債務者が学院労働組合に対し厳しく対処したとしても、これをもって債務者が組合を嫌悪していたとは解することはできず、債権者らの主観的な受け止め方を別にすれば、他にこれを認めるに足りる疎明はない。

したがって、債権者らの右主張は理由がない。

五  以上によれば、債権者らの本件申立ては、その余の点について判断するまでもなく、いずれも失当であるからこれを却下することとし、申立費用の負担について民事保全法七条、民事訴訟法八九条、九三条を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判官 島田清次郎)

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